東京中央労務管理事務所の代表・社会保険労務士の今井恒です。
当サイトをご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、私自身の過去、今、未来をお伝えしてみたいと思います。
父の影響で社会保険労務士に
私の父は、国家公務員として労働基準監督署を勤め上げた後、民間の社会保険労務士事務所に所長として迎えられた人でした。
親子の会話は多くはありませんでしたが、大学時代に労働基準法を学んだ際、父に質問をしてみたことがありました。企業の現場事情に照らした法制度の解説は、とても面白く、わかりやすいことに驚くほどで、尊敬の念を新たにしたのをよく覚えています。
たぶん(記憶は飛んでます)、就職面接の際にこの話をしたのではないかと思います。
新卒入社した企業で人事労務部に配属されたのです。これをきっかけに、ずっと意識の中にあった社会保険労務士の資格を取得したことが今に繋がっています。
働きながら資格を取得すると、本格的に資格を活用したいと思うようになり、28歳で江戸川区の小規模な社会保険労務士事務所に転職しました。
教科書と現場の違いや、企業内の人事労務の仕事と社会保険労務士としての仕事の違いなど、学ぶことはたくさんありました。
小さな事務所だったこともあり、割り振られた業務を1から自分で調べてこなす日々。現場の求めに応じていくために、ひたすら勉強しなおす時間でした。
目標は所長と肩を並べることができるくらいの知識を持つこと。大学時代の同級生が次々と結婚するなか、焦りもありましたが、3年ほどで所長からも認められるようになり、10人・20人・50人規模の企業を担当するようになっていました。
ただ、顧問先で大きな困りごとが起きると、所長が出張り解決するという体制であることに物足りなさも感じるようになっていきました。
交流会を通じて転職活動
交流会に顔を出すなかで、新宿にある中堅の税理士事務所から、司法書士や社会保険労務士を雇用してワンストップで顧客にサービス提供ができる体制を整えたいと声がかかり、転職を決意。
32歳、ここでは労務部門のトップに就任とステップアップすることができました。
税理士事務所が抱える顧問先は約1000社あり、10人・20人規模が多数ながら、100人規模の企業もあって、顧客から人事労務の相談があると、私のもとへと回ってきます。
新規案件のほとんどは問題発生への対応を求められるというもの。どのような相談であれ、今度こそ自分で解決するしかないという立場で、対応に奔走していると、労務部門とも定期契約へ進展するケースが増え、仕事は充実していました。
江戸川区から新宿へと移ったことで、交流会もより活用しようと、新宿の日本青年会議所(JC)に所属。こちらでの人脈も広がり、自分で受注する仕事も増えていきました。
結果、5年在籍中3年は、事務所の売上TOPを維持。
部下は移籍当初から常時1〜2人、仕事量が増えて多いときには5人を統率していました。
36歳で個人事業主として独立
仕事がどんどん増えて長時間労働が当たり前になってしまっていたこと、さらに結婚をしたこともあり、36歳のときに独立。妻と社会保険労務士を目指すアルバイトとの3人体制で、0ベースから再スタートを切りました。
南青山の事務所は、個人の税理士とシェアしていました。
個人事業主として独立し、自由な時間が増えたことで、私の世界は大きく広がりました。JCの活動をより本格化して、ほかの士業との交流も増やし、ビジネスコミュニティにも所属することで、より多くの、より多彩な経営者や企業に出会うことができたのです。
独立1年目は、仕事量はそこそこでしたが、2年目から紹介が増え始めて、事務所は順調に成長しています。
コロナ禍では、雇用調整助成金を必要とする経営者や企業のために、事務所の近くに部屋を借り、泊まり込みで仕事をしていた時期もありました。
このときも、助成金だけの依頼も引き受けていたため、とんでもない忙しさでした。
社会保険労務士の業務を通じて、顧客、取引先、そこで働く方々はもちろん、友人、家族も含めて、弊社に関わるすべての『皆様の世界を救う』という思いがより強くなった経験と言うこともできます。
今のスタッフはそこそこ育ってきているので、さらに社員やアルバイトも増やし、より一層、皆様のお役に立てるように体制を整えていきます。
2022.7新オフィスに移転
実は昨年、前オフィスの契約更新を機に、新宿区に事務所を移転しました。
移転前後は、コロナ禍が収束しきっていなかったことなど、諸事情あって、新オフィスのお披露目は今年7月を予定しています。
社員やアルバイトも増やして、さらに皆様のお役に立てるように体制を整えていきます。